ボンクラ息子のセルフイメージ 子どもたちは言葉そのものより非言語からの影響をうけている

落ち着きがなく

1分としてじっとしてられない

まったく勉強しない

トラブルばかり起こす

成績は最低

 

あ この話は

ワタシの幼いときの話です。

 

夏休みには

その傾向が顕著になります

 

学校に行かなくてもイイ

ということは

ワタシにとっては

24時間

遊びの時間ったのです

 

すると・・

 

我が家には

近くに住む友人の親から

クレームが

次から次へと入ってくるんです

 

勉強もしないで

遊びに
ばかり誘いに来る

 

一緒に外出すると

遅くまで帰らない

 

危険な崖の上で遊んでいる
落ちたらどうするんですか?

 

池に落ちて

ずぶ濡れで帰ってきた

 

ヤブに入って

体中 傷だらけ

 

自転車で転んで
大怪我をした

 

 

困ります!!!

 

 

オタクの

息子さん
どうなっているんですか?

 

 

謝る


謝る


謝る

 

両親(特に母親)は

ほんとうに謝ってばかりいた記憶が、、、(汗

 

子供の責任を取るのが
親の責任と言いながら

 

 

今考えると 本当に

申し訳ないことをしたなぁと思います。

 

 

そして謝るときの両親のセリフ

 

『このボンクラ息子が・・・

 どうもすみません!!!』

 

いつしか

ボンクラがワタシの

アイデンティティ(セルフイメージ)
となったのです。

 

でも、

不思議なことに
私には
ボンクラ
という言葉に
悪いイメージがない

 


当時を思うと

友人の親や
担任の先生を前にした時は

かなりきつい言い方だった
記憶がありますが

 

私と対面した時は

ボンクラという言葉とは裏腹に

(出来が悪い息子ほどカワイイとかいいますが)

 

口ではボンクラと言いながら

 

非言語のベースで
(声のトーン)

どこかしっかりと
をもって

私と接し
私を受け入れてくれていた

 

 

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私の潜在意識レベルでは

両親のボンクラという
言葉とは裏腹に


優しいなにかを
感じていたのでしょう。。。

そして、
そのイメージが
私の記憶の彼方に
しっかりと刻まれていたんですね

 

大人になって
多くの人が
セルフイメージを語るとき

 

高い、低い 

を重視している気がします。

 

 

高いか 低いか

コレって相対的なものです

 

何と比べて 高いのか低いのか

高いに越したことはないかもしれませんが

 

人生を楽しむのに

あんまり
関係ない気がします。

 

それよりも大切なことは

 

ココロのふかーいところで

 

自分を信じている

 

かどうか?

 

これが肝心です。

 

おとなになって

還暦まで約2年になった今でも、

 

困難や辛いことも

体験していますが

 

鈍感であんまり感じてない?

 

ワタシが楽天的

いることが出来るのは

 

両親の
優しい声のトーン

私へ向けられる
優しい眼差し

 

今でも耳を澄ますと
聞こえてくんですよね

 

両親のあの優しい声

 

『このボンクラ!!!』

 

父は他界し
母も高齢となった今では

私に
ボンクラ
と言ってくれる人はいませんが

私にとって

これほどの財産はありません。

 

今日は

 

私のひとりごと

 

ボンクラ息子の
セルフイメージの話
でした

 

 

 

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